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東京高等裁判所 昭和52年(ネ)535号 判決 1980年4月14日

控訴人

吉岡行雄

右訴訟代理人

植木植次

金住則行

被控訴人

堀泰一郎

主文

原判決を取消す。

被控訴人は控訴人に対し、別紙目録記載の建物を明渡し、かつ昭和五三年五月二九日から右明渡ずみに至るまで一か月金五万円の割合による金員を支払え。

控訴人のその余の請求及び被控訴人の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用のうち、原審費用は控訴人の負担とし、当審費用は被控訴人の負担とする。

この判決は控訴人勝訴の部分に限り仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

一控訴人が本件建物を所有していること、控訴人が被控訴人に対し、昭和三九年一〇月一日、本件建物を、同日から昭和四二年九月末日まで、賃料一か月につき五万円、毎月末日払いと定め、被控訴人において「若し一か月たりとも賃料の支払を怠りたるときは賃貸借を解除し、直ちに該物件の明渡しをなすものとす」る旨の特約を付して賃貸し、これを同日引渡したこと、その後右賃貸借は更新され被控訴人において継続使用していたこと、控訴人が被控訴人に対し、昭和四七年一月一四日到達の書面をもつて右賃貸借契約を解除する旨の意思表示をしたことは、当事者間に争いがない。

二そこで、右契約解除の効力の有無につき検討することとし、まず、解除手続の適法性につき判断する。

1  控訴人は、本件賃貸借の解除に当たり、数回にわたつて賃料の支払を求めて催告をした旨主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。

2  次に、控訴人はその主張の特約をもつて催告不要の特約であると主張するものと解されるので、右特約の趣旨、効力について検討する。

<証拠>によれば、右特約は本件賃貸借契約締結の際作成された貸室賃貸借契約書(甲第二号証)中に不動文字として印刷されていることが認められるところ、右契約書の文言は、一か月でも賃料を遅滞すれば賃貸借を解除することができるとあるのみで、解除の手続として催告を要しないで直ちに解除の意思表示をすることができる旨の文言は右契約書中に存在しない。したがつて、右特約が履行遅滞における解除権の行使につき催告を要する旨を定めた民法五四一条の原則規定の適用を排除したものとは当然には解されず、本件において全証拠によつても右特約が催告不要を意味するものと解するのが合理的であると認めるべき事由の存在は認められない。結局右特約条項は解除権を行使できる賃料遅滞の月数を一か月をもつて足りるとする趣旨で設けられたものと解するのが相当であり、このように解したからといつて右特約条項を設けた意義が全くないということはできない。右のような特約は賃借人に賃料支払義務を励行させるうえで事実上の効果があるとともに、右のような特約がある場合には、建物の賃貸借につき短期間の賃料遅滞でも信頼関係を破壊するものとして解除権を行使することが許される事情の一つとなる場合がありうるからである。

したがつて、その余につき判断するまでもなく、被控訴人の賃料支払義務の履行遅滞を理由とする控訴人の本件賃貸借契約解除の意思表示は、かりに被控訴人に賃料の不払があつたとしても履行の催告を欠き無効であつて、右意思表示により本件賃貸借は終了したとする控訴人の主張は失当といわなければならない。

三次に、控訴人は解約申入による賃貸借の終了を主張するので、これにつき検討する

本件賃貸借は前記期間満了の更新により期間の定めのない賃貸借となつたものであるところ、控訴人が被控訴人に対し、昭和五二年一一月二八日の当審口頭弁論期日において、同年一〇月三日付控訴人準備書面により、正当事由を理由とする本件賃貸借契約の解約の申入をしたことは、本件記録によつて明らかである。

なお、控訴人は本件訴の提起により右解約の申入をしたと主張するが、本件訴状にはかかる記載はなく、右訴の提起をもつて右解約申入と認めることはできない。また、被控訴人は、控訴人が当審に至つて右解約の主張をするのは時機に遅れたものであり、却下されるべきものと主張するところ、控訴人が当審において右主張を新たに追加したことは時機遅れの観があるが、本件訴訟の全経過に徴すれば同人に故意又は重大な過失があつたものとは認められず、訴訟の完結を著しく遅延させるものとも認められないから右主張は理由がない。

そこで、右解約申入の正当事由の存否につき判断する。

<証拠>によれば、次の事実を認めることができ<る。>

1  控訴人は、昭和三〇年、本件建物に「中川経理事務所町田分室、吉岡経理事務所」の名称で税理等の業務を行う事務所を開設し、控訴人は税理士の資格を有しないため税理士の資格を有する訴外山本義夫に委嘱して(報酬は一か月金二万円ないし金二万五千円であつた。)同事務所における税務を担当してもらい、昭和三一年には事務所の名称を「山本経理事務所、吉岡経営管理事務所」と変えた。昭和三八年三月頃、右山本が同事務所を退所したため、税理士熊沢(旧姓今藤)正夫が控訴人の委嘱を受けて(報酬は一か月金五万円であつた。)同事務所における税務を担当することになり、事務所名も「今藤税務会計事務所、吉岡経営管理事務所」と改めた。

しかし、右事務所の実質上の経営者は控訴人であつて、同人は事務員に対する人事管理を含め事務所の経営すべてを行ない、また昭和三三年に行政書士、経営士、労務管理士の資格を取得してからは同事務所において右資格に基づく業務をも行なつてきた。ただ、控訴人は税理士でなかつたところから、表向きは控訴人及び事務員は山本ないし熊沢の経営する事務所の職員であるとする形式をとり、また事務所のある本件建物は控訴人から事務所代表の熊沢らに賃貸された形式をとつていた。もつとも、熊沢らは自己固有の顧客からの委任事務につき右事務所の事務員を使用する程度のことは認められていた。

2  右熊沢は昭和三九年九月三〇日をもつて退所し、代りに税理士の高野光寿と計理士の被控訴人が控訴人の委嘱を受けて右事務所の税務を担当することとなり、事務所名は「堀会計町田経理事務所」と改められ、本件賃貸借契約が締結された。しかし、事務所の顧客は勿論その経営形態は従前のままであつて、控訴人は報酬として被控訴人に月額八万円(その後高野の退所により金一三万円、更に金一五万円に増額された。)高野に月額五万円を支払い、他方控訴人は事務所から給与を受け取る形式をとつた。

その後、約二年を経て被控訴人が税理士の資格を取得すると、高野は退き、事務所名は税理士堀泰一郎事務所と経営管理吉岡行雄事務所とに改まり、被控訴人は次第に自己の独立性を強調するようになつた。

3  被控訴人が本件建物において税理士業務を行なうようになつた後の同建物の使用状況及び同所における業務の運営についてみると、その入口前面の一方には「公認会計士、税理士、計理士堀泰一郎事務所」の、他方には「経営士、行政書士、社会保険労務士、監査士吉岡行雄」の看板が立てられ、控訴人が税理士の資格を有せず、税理士法違反の疑を受けることを避けるため、対外的には税理事務はすべて被控訴人が行ない、諸帳簿等も堀会計事務所名義で作成され、同事務所全体の主体は同人であるような形態を示し、同事務所における事業所得全体の所得税については被控訴人個人の名義で同人が青色申告をし、源泉徴収の還付金は同人が取得し、同人には店主貸という形式で前記契約に基づく同人の給与その他同人の所得となる金員が支払われていた。他方、控訴人に対しては従業員の形式で毎月約金一〇万円の給料が支払われていたが、同人の同事務所の使用状況は、被控訴人が同事務所に入る前とは大差がなく、控訴人は前記のようにその資格に基づく諸業務を行ない、税理事務に関する顧客も従前とほとんど変らず、主として地元に知人の多い控訴人の関係者らであり、二〇人余の従業員の大部分は被控訴人が同事務所に入所する前から雇傭されていた者であつて、それらの者の従事する事務は税理事務関係のものとその他のものとの区別は明確ではなく、控訴人がこれらの者の人事管理をし、右従業員らの意識は控訴人をもつて事務所全体の経営者とするものであつた。また、被控訴人は東京都内に居住し、右都内に公認会計士事務所を有するため、本件建物の事務所に出勤するのはおよそ週二回程度であり、控訴人は昭和四一年以来町田市市会議員に選出され、政治活動に多忙となつたものの、日常同事務所を使用し、同事務所における平常の業務は同人の管理下にあつた。

さらに、本件建物における事務所の経理については、税理業務とその他の業務との区別はなく、経費が不足するときは控訴人が立替えることもあれば、被控訴人が立替えるときもあり、支出は控訴人の指示に基づくことが多く、隣接して居宅を有する控訴人個人に関係のある電話料金、電気料金、駐車場料金、ガソリン代、町田タイムス等の地方紙の広告費用、慶弔花輪代等(右は必ずしも全て事務所の運営と無関係とはいえないが)も従前どおり同事務所の経費から支弁されていた。また、同事務所の賃料は当初の約一年間は控訴人に現金で支払われていたが、その後は控訴人と被控訴人間に明確な合意もないまま授受されることなく推移した、(なお、被控訴人は、控訴人のために支出した前記電話料等の金員は事業主たる被控訴人の控訴人に対する立替金であり、本件建物の賃料は右立替金と相殺されたものである旨主張するが、前記の証拠によつても右の金員が立替金として事務所の経理上別途処理されていたものとは認められず、かえつて事務所の経費として処理され、従前の事務所運営の沿革から、控訴人に対し立替金として返還の請求がされることも、賃料と相殺する旨の合意や意思表示がされることもなく経過していたものと認めるのが相当である。)。

以上認定の事実からみると、本件賃貸借契約が締結された後も本件建物の使用関係、事務所の運営状況は、それ以前と根本的に変つたものとは認められず、右賃貸借により本件建物の管理支配及び事務所の経営が完全に被控訴人に移り、控訴人が名実ともに被控訴人の一従業員に過ぎなくなつたものと認めるのは相当でない。本件建物内の事務所において、被控訴人は税理事務の責任者として対外的、特に対税務署関係においては同事務所の主体であることが認められるが、他方、控訴人は、事務所全体を掌握する者であり、税理士業務以外については同事務所の主体たる地位を保持し、結局本件建物は両者の共同事務所たる性格を有し、両者の協力関係が本件建物の賃貸借契約の前提とされていたものであると認めるのが相当である。

<証拠>によれば、被控訴人は昭和四〇年六月頃町田ジヤーナル紙に対し同紙が税理士堀泰一郎事務所、吉岡行雄事務所連名の広告を被控訴人に無断で掲載したことにつき抗議したこと、控訴人が税務に関し草柳某から金一、〇〇〇万円を預つたことが問題になつた際、被控訴人が同じ事務所にいる控訴人に対し昭和四一年一一月二五日付内容証明郵便をもつて戒告したこと、被控訴人が昭和四五年の正月に事務員らほぼ全員を自宅に招いたことが認められるが、右戒告をしたのは税務署に対する関係で右問題に対する措置を明らかにしたものであつて、控訴人もこれに従つたとみる余地があり、その他の右事実は被控訴人の独自性の主張の現れとみることができるとしても、本件建物内事務所における両者の基本的関係についての前認定を覆すに足りるものではない。また、後記のように昭和四六年一二月八日に控訴人を含む二〇名の従業員が連名で被控訴人事務所の職員を退職する旨の退職届を被控訴人に提出したのも、その目的は被控訴人を同事務所から追放することにあり、控訴人は形式上同事務所の従業員となつていたため従業員として名を連ねたものであつて、右の退職届をもつて、同人が本件建物内の事務所において実質的に一従業員に過ぎないものであつたことを示すものということはできない。

次に、<証拠>を総合すると次の事実が認められる。

1  その後控訴人と被控訴人間の関係が次第に円滑を欠くようになり、昭和四六年末頃には極めて悪化し、その頃控訴人に被控訴人との共同事業を営むことを止めるよう忠告する顧客もあつたので、控訴人は、被控訴人と関係を絶ち、同人に本件建物の事務所から出てもらうことを企図し、昭和四七年一月初控訴人を含め二〇人の大部分事務員の連名をもつて堀泰一郎事務所を退職する旨の退職届を被控訴人宛提出したところ、かえつて被控訴人から本件建物への立入りを拒絶されるに至つた。そこで、控訴人は、前記賃貸借解除の意思表示をし、更に同年三月一五日本訴を提起した。

2  右のように被控訴人から本件建物への立入りを拒絶された控訴人は、やむをえず本件建物と同一敷地内にある控訴人肩書居宅に事務所を設け、そこに従前の事務員二十数名を収容することにした。

右控訴人居宅の一階は従来応接間(八畳)、居間兼食堂(六畳)、母吉岡ヨシの部屋(八畳)、納所(八畳)及び台所・浴室・洗面所・便所があつたが、ヨシの部屋と納所を合わせて事務所に改装した。しかし、それでは事務員全員を収容できないので、その東側に東西約一メートル南北約七メートル床面積6.6平方メートルの増築をして、ようやく最大限二五名を収容できる事務室とした。

3  同事務所の経営者は控訴人で、通称として吉岡経営管理事務所と呼ばれ、控訴人が資格をもつ行政書士、経営士、労務管理士及び社会保険労務士(昭和四二年取得)関係のほか税務関係の事務を取扱つているが、控訴人は、税理士資格を有しないため、税務事務のため税理士の熊谷喜一郎に委嘱してこれを担当させ(現在の報酬月額は金二五万円)、税務関係については、熊谷税理事務所の名称を使用している。熊谷との間では事務室の賃貸借契約を締結していないが、家賃名義で月額一〇万円を同事務所全体の経費の中から控訴人が受領している。なお、税務関係の顧客数は、法人関係で約二〇〇、個人関係で約三〇〇となつている。

4  控訴人の右居宅の二階には、控訴人夫妻の居室(八畳)、主として控訴人の養母が使用する(六畳)、控訴人二男好紀(昭和二五年生)の居室兼同人経営の会社專務室(八畳)のほか、納所(4.5畳)・洗面所・便所がある。

控訴人はまた町田市野津田町に延181.45平方メートルの二階建の家屋を所有しているが、同建物には、脳卒中で半身不随となつたため協議離婚をした控訴人の先妻吉岡キク(控訴人の母ヨシの養女になつている。)、右キクとの間の長男為行(昭和二三年生)と三男三成(昭和二八年生)(二男好紀は前記のように控訴人と同居している。)、それに控訴人居宅の前記事務室設置のため同居宅から転居した母ヨシが居住している。右家屋は納所を含め八室あり、余裕のある使用状況であるが、控訴人の息子三名はいずれも結婚適令期にあるため、控訴人は同人らのための居宅を確保したい意向がある。

5  前記のように控訴人居宅には事務室が併設されたが、事務所としても手狭であり、控訴人の私的及び公的(控訴人は前記のように昭和四一年から町田市議会議員となり、昭和五三年三月からは市会議長の職にある。)生活にも不便であるため、控訴人は、長年控訴人の事務所として使用していた本件建物に、現在の事務所を戻すことを望んでいる。

また将来、控訴人は、同人居宅及びこれに接する本件建物敷地を含めた控訴人所有地は、交通の便もよく、地価も高騰した土地であるので、同地上に、三、四階の鉄筋の建物を建築し、地下には駐車場を設けて、現在事務所用に借りている四か所の駐車場を一か所にまとめたいと考えている。

6  被控訴人は、税理士のほかに公認会計士の資格をもち、東京都世田谷区尾山台に居住し、港区白金台に事務所(約四三平方メートル)を設け、同所では主として公認会計士の業務を行い、本件建物には税理士事務所を置いているため、同税理士事務所に来所するのは頻繁ではなく、本件建物の一階47.10平方メートルは事務室とし、女子職員二名を置いているだけであり、二階29.32平方メートルは休憩室と便所で、タイプライターを二、三台置いている。同所における被控訴人事務所の事務量や顧客数は控訴人の事務所に比べ遙に少ないが、原町田駅に近く、事務所としては好適の場所にあり、被控訴人は、今後顧客を増やし、同事務所を同人の税理士業務の拠点とする意向を有している。

以上のとおり認めることができる。

四以上の事実を総合すると、本件建物の賃貸借は、前記のように控訴人と被控訴人との同建物の共同使用、事業上の協力関係を前提とするものであるところ、既に両者の関係は破綻してしまつたことが認められるとともに、本件建物から放逐された家主たる控訴人は多数の従業員を抱え極めて手狭な事務所に耐え、不自由している反面、被控訴人の本件建物の使用状況は相当余裕があり、むしろ広すぎるともいえ、その経営規模に相応する事務所は町田市内においても他にこれを取得するに必ずしも困難とはいえず、本件建物の明渡を受けられないことによつて被る控訴人の不利益はこれを明渡すことによつて被る被控訴人の不利益より大であることが認められる。以上によれば控訴人の解約申入には正当の事由があるというべきである。

してみれば、右解約申入のあつた昭和五二年一一月二八日から六か月を経過した昭和五三年五月二八日をもつて本件賃貸借は終了したものというべきである。

五以上の次第であつて、控訴人は被控訴人に対し、所有権に基づく本件建物の明渡及び昭和五三年五月二九日から右明渡ずみに至るまで一か月金五万円の割合による賃料相当損害金(右賃料相当額については当事者間に争いがない。)の支払を求める権利があるから、控訴人の請求はその限度で理由があり認容すべく、その余の控訴人の請求及び被控訴人の請求は理由がないから棄却すべきであつて、これと異なる原判決は失当で取消を免かれない。

よつて、民訴法三八六条、九六条、八九条、九二条、一九六条に従い主文のとおり判決する。

(外山四郎 清水次郎 鬼頭季郎)

目録<省略>

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